自由帳

記録とリハビリのための散文

入院生活1ヶ月目

入院生活も3週間を超えてきたので忘れないうちに経過と精神病棟のレポをしたいと思います。

以前も書きましたが事の発端はとある薬をODして心中未遂したことで、ICUから医療保護入院という形で精神病棟に転院しました。

12月28日に入院し、「正月もし自殺未遂しても病院が開いてないので。」という理由から大晦日、元旦は病院で過ごしました。
年末ムードにあてられながらも家族がよく面会に来てくれたことや、帰省で人が少ないことが幸いして三が日は穏やかに過ごせました。

4人部屋に入っているのですが、1月4日に新しく患者が同室に入ってきました。70代で認知症の方が入院したようです。ここから生活が一変しました。
同室に攻撃的なADHDの方がいるのですが、認知症の方が夜中にいびきをかいたり、寝言を言ったりする度にADHDの方が「うるさい!」と叫び眠れない。朝は部屋の前で1人で歌ったり笑ったりしている人の声で起こされる。
唯一の憩いの場だった喫煙所では「たばこ1本くれ」「ジュース買うから100円貸して」と物をねだられることがストレスとなり、食欲不振や体の震え、以前から抱えていたフラッシュバックと頭を殴る行為が頻出するようになりました。

担当医に話し薬を増やしてもらうものの、一度不調になるとなかなか調子が戻らず、喫煙の頻度が増え根性焼きをする癖が出ていました。
ここで「病院の環境が合ってない。外泊して息抜きしましょう。」と外泊許可がおりました。
家に着いて外食した後、しばらくすると寝てしまいあっという間に一泊二日が終わりました。今まで気が張ってたんだな、とようやく気づきました。

それからしばらく穏やかに過ごしてたものの、また根性焼きをしてしまい、頓服を飲みながら過ごしていましたが、1月18日に担当医から「1人で外を散歩できるように医療保護から任意入院にかえますか?」と提案され、任意入院に切り替わりました。
ところが、1月20日の夜に希死念慮がピークに達し、遺書を書き周囲の人への挨拶を済ませ「明日実家(マンション10階)に帰って飛び降りる。頓服ももう飲まない。」と決意し眠りにつきました。

目を覚ますと前日の鬱陶とした気持ちが嘘のよう!頭がクリアで清々しい。なぜ私は死にたかったのか全く理解できない。世界はこんなに素晴らしいのに!
診察で死のうと思っていたことと気分の晴れやかさを伝え、単独外出を禁止にしてもらいました。

しばらくすると、そわそわが止まらない。他人の話し声が気にさわる。なにもかもうるさい…気付いたら何度も根性焼きをし、頭を殴り続け、口に手を入れ昼食を吐いていました。
自分でも何かおかしいと思い看護師に話すと「外からの刺激を減らしましょう」と保護室へ。
自傷行為は普段隠れてしているのですが人が周りにいようと構わず頭を殴ってしまう。足が震え涙が止まらない。筋肉注射を打ってもらい、保護室でしばらく寝ると落ち着き、夜は自分の部屋で眠っていました。
また朝になると気分が上がり、やはり何かおかしい。今は気分の波が激しく、安定剤をいろいろ試しているところです。

担当医から気分をコントロールできないことと、死にたいというのはセットではないか?と言われました。気分がコントロールできず自己嫌悪に陥り、「いつまでこれが続くのか?」と悲観的になり死にたくなるのではないかと。たしかにそうかもしれません。

入院直後はフラッシュバックの治療が主でしたが、今は気分を安定させることに重きを置いている状態です。
入院したからといって劇的に良くなるわけではないと分かっているのですが、診察や薬の調整をしてもなかなか良くならないことに焦りを感じてしまいます。
いつまでこの状態が続くのか、果てしなく感じるのです。

担当医や家族から「必ずいつか良くなる」「前よりよくなってる」と言ってもらう事が唯一の励みです。もうこの負の連鎖から抜け出さないといけない。

あと1ヶ月と1週間で頑張ります。
読んでくださってありがとうございました。