自由帳

記録とリハビリのための散文

心中未遂、ICUへ。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

2018年12月11日、とある薬を致死量の2倍(100錠)を飲み心中未遂を起こしました。
昼から心中相手とフラフラ歩いて「最後にめいっぱい楽しもう」と定食屋で昼からビールを飲んだり、カラオケに行ったり、趣味のシーシャ(水タバコ)を吸ったりして満喫していました。
薬2人分の致死量を手に入れ21時頃に飲み、気絶。薬に耐性がなくすぐに意識が遠のきました。

目を開けると知らない場所で知らない人数人に名前を呼ばれ、「ここどこかわかる?」と何度もきかれるものの答えられず気絶するのを2回ほど繰り返しました。
次に目を開けると「死ななかったんだ」と理解でき、声が出なかったので身振り手振りで紙を持ってきてもらい「いっしょにしんだひとは?」「いきてる?」と尋ねると「生きてるよ」との答え。安心してまた気絶。

4度目に意識が戻った時には完全に心中失敗したことを理解し、「ここはICU(集中治療室)」「心中相手が救急車を呼んで運ばれた」「今日は12月20日」と説明され、その内容も戸惑いながらも理解できました。
鼻にチューブが入っており、息苦しくて何度か吸引してもらった後、鼻のチューブを取ってもらいました。
周りを見回すと両腕に点滴、体に心電図のようなものが貼り付けられ医療器具に囲まれている事にも驚きましたが、10日近く日が経っている事にも驚きました。
理解しているとはいえ、やはり錯乱状態で何度か「なんで病院にいる?」「心中相手は?」と両親に確認し、その度「心中相手が救急車を呼んだんだよ」「相手はもう退院してるらしいよ」と教えてもらいました。
完全に意識が戻り、ラジオをつけてもらいペースト食で食事ができるようになっていました。両親に遠くに住んでいるきょうだいが気絶している間に面会に来てくれた事や、意識重体で緊急搬送され最初の2日は死んでもおかしくない状態だったと聞き、救命の方に心から感謝し何十年ぶりかに晴れやかな気分でした。
かすれ声であるものの、意識がはっきりした頃から院内の精神科医の先生に事の経緯を時々話していました。
2日ほどでHCUに移動し、日に日に点滴が取れ、ペースト食から軟食に変更し元気になっていくのを実感していました。
気道確保の為の器具(気管挿管)がしばらく入っていた影響で喉を痛め、声が出ず水分をとる際にむせてしまう為とろみをつけてもらっていて、2019年1月1日現在も続いています。
HCUに移動し2日目頃、晴れやかな気分から一転、「なんで助かった?」「今度こそ死ねると思ったのに」と気分が沈み頭を殴ってしまうと看護師に言うと、担当看護師が同室で見守り、フォークなどを部屋から出し、頓服のクエチアピンを飲んで安静にしていました。
それから数日も気分の沈みは続き「なんで助かったんだろう?」「なんのつもりで救急車を呼んだんだろう?」と答えのない自問自答を繰り返していました。

警察沙汰の自殺未遂が2018年で3度目だったことや普段の情緒不安定の様子から両親が強く精神科への転院を希望し、私自身も「できることなら入院などしたくないが、このままでは繰り返してしまう」と精神科への入院を承諾しました。しかし今の気持ちがいつまで続くかわからない、気が変わって急に退院するかもしれない、という懸念があると精神科医から勧められた事もあり、保護者の同意のもと入退院ができる医療保護入院という形で医療保護入院を行なっている精神科への転院が決まりました。

比較的軽度の方が多く、長くても3ヶ月ほどで退院できると聞いていますが退院時期は未定です。
担当医が優しく密に診断を行ってくれる事や院内散歩や売店利用、喫煙や携帯電話使用の自由度が高く、以前措置入院で入った病院よりも過ごしやすい事が救いです。年末年始休みで家族がよく面会に来てくれることもありがたいです。
2019年とんでもない幕開けですがどうなるのかな?今年は穏やかに過ごしたいものです。しばらく療養に専念します。