自由帳

記録とリハビリのための散文

閉鎖病棟入院記録

2018年7月半ばに精神病棟に1週間緊急措置入院したので忘れないうちに書いておく。


事の発端は知人と金銭トラブルで殴り合いになり通報、理由は忘れたが警察官と口論になり「じゃあ、死んで詫びます。」とマンションから飛び降りようとして保護された事から始まる。馬鹿げていますが睡眠薬が入って錯乱状態だったと言い訳しておきます。

警察署の個室で待機した後、救急車でとある市の精神科へ搬送。


1日目(土)全身拘束

8時頃病院につき、書類を丸めて投げたり暴言を吐いていたせいか個室で拘束され両腕に点滴を刺されオムツを付けられる。鎮静剤が効いて少し経つと眠りに入った。


2日目(日)閉鎖病棟

朝から医師に何か言われたが鎮静剤が効いて頭が動かない。昼頃には「別の部屋に移ります」と拘束が解け、指定の服に着替え部屋を移る。この時には落ち着き暴言などもなくなっていた。むしろ無口で大人しい方だと思う。

ここでは

・8時、12時、18時の食事

・食後と寝る前に1本ずつの煙草

・3冊までの本の持ち込み

・紙コップ2個の使用

などある程度の娯楽は許されていたので、わかばを購入し喫煙。


3日目(月曜)

看護師が本を持ってきてくれたので暇つぶしに読む。あまり睡眠薬が効かない。


4日目(火曜)テスト解放

火曜に入浴、木曜にシャワーがあるらしいので3日ぶりに入浴。隣の人にシャワーをかけてしまい謝るとかけ返された(後にこの人と仲良くなる)。

緊急措置入院の病棟から任意入院の病棟に9時〜12時まで行けることになった。テスト解放と言うらしい。任意のところでは煙草の量も1週間10箱までとかなり自由に吸える。公衆電話で家族と連絡を取ることも。

任意の入院患者の方は10年入っている人もいた。新入りは珍しいのか自己紹介をしたり雑談をした。


5日目(水曜)

テスト解放の時間が15時までに伸びた。シャワーを浴びせてしまった患者の方と自己紹介して雑談していたらなぜか気に入られたようだった。2人で病院にある本であれは面白いだの、あれは怖かったなど話すのは楽しかった。

看護師に呼ばれ、担当医と問診。幼少期の特徴となぜ死のうと思ったかなど聞かれ、それらしい事を話した。昔から医者や病院が苦手で話していてイライラしたが「明後日には退院しましょうか」と言われた時は心底ほっとした。

購入したテレフォンカードで公衆電話から夫に電話をかけ報告した。


6日目(木曜)

また新たに措置入院した人がテスト解放に来たので話好きな人が質問責めにしていた。

病棟内の人間関係に疲れていた。テスト解放をやめるとその日は二度と任意の病棟には行けないが、だいたいシャワー、読書、食事が終わると「疲れたので戻ります」と部屋に戻っていた。

夜眠れないので追加の睡眠剤を貰おうとするが看護師がいない、防音室なので叫んでも聞こえない。寝る前にすごく疲労した覚えがある。


7日目(金曜)退院

措置入院の人が昼頃退院が決まり入院患者に挨拶をしていたが、「私も早く退院したいなぁ」という声を聞いてしまい、自分は挨拶はしないでおこうと思った。

家族が迎えに来る夕方まで、煙草と読書で暇を潰そうとするがソワソワして集中できない。一刻も早く病院から抜け出したい気持ちでいっぱいだった。夕ご飯を食べた後は数分おきに時計を眺めていた。

19時頃、家族が仕事を終え、病院に到着。着替えて荷物をまとめ病院を出た。


こんな感じで1週間過ごした訳ですが、実際は円形脱毛症ができるほどストレスフルでした。

親戚には「できるだけ長く入院させてほしい」と言われたそうですが、家族の尽力で早く退院できたそうです。記憶がおぼろげなので省きましたが着替えや差し入れを届けてくれたり、入院中電話してくれたり、家族には本当に感謝していて頭が上がらないです。


入院した感想は「閉鎖病棟だけはもう二度と行きたくない!」

生き地獄でした。これだけ人権がない生活はなかなかないと思う。あと病棟内での人間関係に疲れた。

兎にも角にも二度とお世話にならない!あと眠剤ODはよくないです。